初心者が学ぶ日本史

1駅でまなぶ日本史 平安時代② 嵯峨天皇の時代

この記事は、日本史に興味を持っている社会人に向けて書いています。

「1駅を移動する間(約5分間)にざっくり日本史を楽しめる記事」を目指しています。

レベルは初心者向けの中学高校の日本史、
そして何処から見ても1話完結で見れる記事になるように心がけています。

本記事では「平安時代・第51代平城へいぜい天皇と第52代嵯峨さが天皇の時代」を見ていきます。

「第51代・平城天皇」と「第52代・嵯峨天皇」

平安時代とは、第50代・桓武天皇が平安京に都を遷都してから、
鎌倉幕府成立までの「390年」という長い時代を表します。

今回はその桓武天皇の息子、
第51代・平城へいぜい天皇とその弟第52代・嵯峨さが天皇の時代を見ていきます。

806年、第50代・桓武天皇が崩御すると、51代・平城天皇が即位します。

平城天皇がまだ皇太子の時代、
平城天皇の妃の母である藤原薬子と不倫関係になります。

これに激怒した桓武天皇は、藤原薬子を追放しますが、
桓武天皇亡きあと再び平城天皇が都に呼び寄せます。


しかし、平城天皇は病気のためわずか3年で第52代・嵯峨天皇に譲位しました。


平城天皇は上皇となり、藤原薬子の権力も弱まっていきます。

平城太上天皇の変(薬子の変)

嵯峨天皇が即位したのち、平城上皇は元気になっていきます。
藤原薬子とその兄藤原仲成は再び権力を握るため、平城上皇を再び天皇に戻そうとします。
平城上皇は平安京から平城京へ遷都する宣言をし、ここに嵯峨天皇と平城上皇の対立が発生します。

810年「 平城太上天皇の変(薬子の変) 」が勃発します。

元々は藤原薬子がしかけた薬子の変と呼ばれていましたが、
けして藤原薬子を中心とした勢力だけがしかけたとは断定出来ないため、
現在の教科書では「平城太上天皇の変」と呼ばれるようになったそうです。

結果は嵯峨天皇の勝利で終わります。
平城上皇は出家、藤原薬子は服毒自殺、藤原仲成は弓矢で殺されます。

また、この対立のさなか、嵯峨天皇の機密情報が薬子に漏れるといったことがあったため、
機密文書を守る蔵人くろうとという令外官(新しい役職)を作ります。
そして、その長官「蔵人頭」に、藤原北家の藤原冬嗣ふじはらふゆつぐが就任します。

藤原家には、北家、南家、式家、京家とありましたが、
これ以降「藤原北家」が栄えていくことになります。

その後の嵯峨天皇の政治

その後嵯峨天皇は、
816年頃に京都の治安を守ったり裁判を行う検非違使という役職を作ります。
また820年、それまでの法律をまとめた弘仁格式こうにんきゃくしきを編纂します。

このように政治や法律を強固なものにしていきます。

そしてこののち、藤原北家が台頭していく時代へと移り変わっていきます。

 参考資料:   詳説日本史B 改訂版 [日B309] 文部科学省検定済教科書   
                地図でスッと頭に入る古代史 著者:昭文社 出版 編集部 
        一度読んだら絶対に忘れない日本史の教科書 [ 山崎 圭一 ]